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リハビリの後は美術館で脳のマッサージ!

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 11/13(水)言語リハビリの日。 昨日、クラリネットが思うように吹けなかった「がっかり」が尾を引き、体も心も重たい様子。喉も痛みもあって、カロナールを飲んでいる。 こういう日もあるね。少しずつ、気持ちが和らぎますように それでも、リハビリには行く、と。 診察 ドクターに昨日の疲れのこと、夜、心臓手術後初めて不整脈が出たことを伝える 「うまくいかなかった〜、というストレスとか、風のひき始めのように体調がダウンしているときには脈が乱れることは起きやすいので、毎日続かなければ心配ありませんよ」 ドクターの言葉と、心配ないという穏やかな表情に、本人も安心したみたい これだけでも、通っているありがたさがひしひし。 リハビリ STのOさんにサックスのレッスンの様子を伝えようとがんばる。 「2小節目にCとかいっちゃうんだけど」....って、音楽関係じゃない人にはわからない、と気づいて、ドレミじゃなくてCDEを使っていることを説明しようとする。うわあ、こりゃ大変 でも頑張って伝えてました。 Oさんは、入院当初に担当してくれていたので、「失礼ながら入院中のイメージが強かったので、授業をやっているなんて、すごいです!」と興奮している。 喜んでくれる人がいるのは、何よりの励みだね。 今日のリハビリ 1 メモ取り 後に内容を説明する  杉のチップを使った無公害トイレの話 2.語想起 プリント 「ん」で終わる家電 など コレは私も難しいわ 宿題をチェックしながら 6文字のひらがな並べ替え問題で たいいくかん になるものが たいくかん だと思っていて、ずっと悩んでいた。実際の発音は「たいくかん」に近いねえ。 「でも、関西ではたいいくかん、ってハッキリいうかな」って。確かに 拗音、撥音は今も難しい。これも失語症の特徴だそう。 今日もお疲れ!なのだが、天気が爽やかで、私はどうしても見たい美術展が世田谷美術館で開かれているので、このあと行ってもいい?と尋ねると、そうとう疲れている様子なんだけど、「着くまで寝てていいよね」といって黙って目を閉じる。 すまんのお、付き合っておくれ。 私が見たいのももちろんだけど、きっと海ちゃんにも元気をくれると思った 北川民次  展 ニューヨークに行ったけどつまらない、とメキシコに渡り、民衆を題材に描き、先住民の 青空絵画教室を開いた。 おおらかな色とタッチ、ユーモ

2024年7月  一区切り 心臓を、脳が助けてくれたんだね

  7/11 河北病院 比嘉先生の診察 右手でお箸は持てますか?字は書けますか?右が痺れたり、歩きにくかったりしませんか? 全部、問題ありません、って答えていた。 投薬もしていないので、これで河北の診察は一区切り。 何か症状が出たら、又その時は近くの脳外科で診察だね ここで海ちゃんの命を助けてもらったんだなあ。 もう来ることはないかもしれない。 新しい病棟ができあがりつつあり、この景色は見納めになるだろう。 面会の時に通った受付。海ちゃんがリハビリのために下りて来たエレベーター。初めてマウスピースを吹いた、リハビリ室。初めての面会の日に転院の説明を受けて頭グルグルしちゃった医療連携室。 賑やかな受付のすぐ隣に、死と隣り合わせの人が運び込まれる、ICUの入り口。 夜中まで、缶入りコーンスープを飲みながら手術の終わりを待った発症当日。 「長島さんと同じタイプの脳梗塞です」って言われて、和ませてくれようとしてるのかとちょっと心がホッとした瞬間。 ICUの看護婦さんが出てきて、手作りの写真カレンダーを預かってくれた待合室のベンチ。 今は何もかも懐かしい。 病院にいるときの、不思議な安ど感。ここにいれば守ってもらえる、守ってくれる人がたくさんいる。ありがたみを心底感じた場所。お別れがなんだか少し寂しくなった。 ありがとうございました。 7/12 ニューハート 大塚先生 心電図もきれいですね、順調です 薬はずっと飲むのは嫌なので、減らしていきたいけど、長く心房細動を持っていたので、もう少し、量を減らして様子を見ましょう ゆっくり、ね。 お酒を飲んでもいいですか、とか、日焼けが斑点みたいになっているのは薬の影響ですか、とか聞こうと思っていたことはすっかり忘れた。 綺麗な心電図にみとれてしまったから つくづく思った 海ちゃんの心房細動はかなり長く持っていたものだった ほっておけば心臓がもっと悪くなっていたのかもしれない。 一番恐ろしい、心原性脳梗塞を奇跡のように生き延び、確かに失語症は残ってしまったけれど、人生を穏やかに見つめ直す機会をもらった。 自分をそんなに頑張らせなくていいんだよ、って。 そして体を大切に守る方法をいくつも授かった。 海ちゃんの脳が、身体を張って心臓を守ってくれた気がしてならない。 一部が動かなくなっても、海ちゃんを生かそうとしたに違いない なんて愛しい、海ち

手術から1か月 ミントンのライブ 「ただいま!」

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WO手術から1か月。 両脇に4カ所ずつあった、内視鏡手術の「穴」もだいぶ塞がってきて、体の動きも戻って来た。 そして、昨日(4/30)は術後最初のミントンハウス、トリオのライブ! 無事に最後まで息が持ってくれればそれで充分、と思っていたけど、スミマセン、海ちゃんはずっとずっと先に行っていました。 回復した、というだけじゃなくて、なんというか、演奏できるのはこんなにも幸せなんだよね、という気持ちが海ちゃんから溢れて、伝染して、プレイヤー、お客さん、店主、お店の隅々にまで満ちていた。 チカラ入ってるけど、どこか緩んでる。 自分の音に集中してるけど、共演者の音に、もっと耳を傾けて楽しんでる。 じっと、今の自分たちを見つめて、生きることの意味と方法を探してきた先にこんな日が来るなんて。このためにあった日々なのかな、とすら思う。 この安らぎを皆さんと分かち合えることが今は何より幸せ。 最高のメンバー、最高のお店、最高のお客さん。「ただいま!」

ウルフ・オオツカ法 手術 無事終了! 入院レポート

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4月1日、海ちゃんの手術は予定通り、無事終わりました。 退院まで、ドキドキからホッとしていった日々。 3/27(水) 昼 コロナ検査で陰性を確認した後、入院 面会は全面禁止なので、この先会えるのは29日の手術説明、後は退院の日 午後 心臓カテーテル検査(冠動脈狭窄の確認) 手首からカテーテルを入れる、今回の入院で一番痛かったそう。お疲れ様! 朝ご飯です。いただきます 結果、冠動脈の処置は不要で、予定通り4/1 にウルフ・オオツカ法の手術を受けることが決まった。夏の再手術は必要ない!まずは一安心、めでたい! 病室はWIFI完備。スマホから毎日、状態のお知らせと共に食事の写真を送ってくれる。 退院後の参考にもなるのでとてもありがたい。 今は2人部屋なので、ビデオ通話は遠慮してる。 この病院は、差額なしの部屋でも、3名部屋がひとつ、2人部屋がひとつ、あとは全部個室。心臓手術の前後のデリケートさが伝わってきます 3/28(木) 脳MRI で脳梗塞の状態の確認  最初の発病時とかわりなし 3/29(金)14:00 執刀医の大塚先生から、二人で手術の説明を聞く ①左心耳の切除 心臓でできる血栓のほとんどがここでできるので、血栓予防効果は絶大。 ②心房細動(不整脈)の治療(アブレーション)脈を正常にするための処置で、こちらは開けてみないとわからない部分もあり、100%、はなかなか難しい。 ここまでは、大塚さんの本で読み込んでいたとおり。 不整脈自体は、即命に関わることはない。一番怖いのが、心臓で血栓ができること。 だから、不整脈が多少残ったとしても、あまり神経質にならないでいこう。 ③脳梗塞がある患者さんは、一時的にリハビリが後退したような、脳梗塞直後の状態にもどったような症状がみられることがあるという。麻酔の影響と思われるが、ほどなく治ってくることがほとんどなので、ショックをうけないように。万が一、手術中に別の梗塞や出血が起こった場合は速やかに処置をする、とのこと。 3人で、脳って不思議で、深いですねえ、と感心する。 他に、特に全身麻酔・輸血に関する危険性と同意事項、身体拘束の可能性の説明と同意。100%安全、とは言えません、と。手術を受ける以上、これは致し方のないこと。海ちゃんの体力を信じて、祈るしかない。 手術は朝一番。その日は本人に会えないけれど、大塚先生には術後、手術の

ウルフ・オオツカ手術 初診から入院まで

7月、リハビリ病院を退院し、通院リハビリ開始。 心房細動、血栓の予防のため、ウルフ・オオツカ(WO)法手術を受けることを決めてから、診察~入院までの流れとそれに付随した診療。 2023年 7月 ウルフ・オオツカ(WO)法手術の存在を知る 7/12 蒲田リハビリテーション病院 退院    ニューハート・ワタナベ国際病院 (NH病院) にかかりたい旨を伝え診療情報をもらう 7/14  NH病院へメールで相談、診察予約 8/3   NH病院 ① 蒲田リハからの診療情報持参 心臓エコー レントゲン 心電図 大塚Dr 所見: かなり前からの心房細動 睡眠時無呼吸症候群と心房細動は関係が強いので、簡易検査をする (8/9自宅にて) 3月以降、手術可能 WO法についての書籍を紹介され、購入 9/1   NH病院 ② 大塚Dr  無呼吸について:軽~中等くらい 精密検査を推奨 少しでも軽くしておいた方が、心臓の負担を軽減する 最終的な術式は術前検査後に決定 手術日、術前検査日の予約(4/1,2/16) 手術1か月前に歯科検診を受ける(必須) 9/4 かかりつけの歯科にて抜歯   翌日まで出血が有り、血液抗凝固剤を止めるメリットを実感する 9/25   横浜呼吸器クリニック①  睡眠時無呼吸症候群について診察 ニューハートでの検査結果持参 CPAPまでは必要ないので、歯科でマウスピースを作り、就寝中に装着、半年後に再検査 紹介状をもらい、かかりつけで制作 10月末 マウスピース使用開始  2024年 2/16  NH病院 ③ 術前検査   心臓CT(造影剤使用) エコー   大塚Dr:気になる所見有 冠動脈に狭窄の可能性     3月入院時に冠動脈のカテーテル検査をする     狭窄があればそちらの処置を優先 WO手術はその3か月後以降 (OMG😢)     問題がなければ予定通り、4/1に WO手術     入院の説明 3/27 入院中は面会禁止(OMG😢) 3/1 かかりつけ歯科 術前診察 → 問題なし   治療中の虫歯や歯周病があるときは手術が延期される場合がある 3/11 横浜呼吸器クリニック② 簡易検査   3/19 前回より改善(無呼吸 13回/時 → 9回) マウスピース継続   結果はNH病院へ郵送 3/27 NH病院 入院

ちょうど一年、今度は元気になるため、入院

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海ちゃんが脳梗塞になってちょうど一年。 大根ヒラヒラ〜〜 まずは無事、生き抜いたことに乾杯!! 今日から入院して、心臓の手術。 術前検査で冠動脈の狭窄も疑われたけど、今日の心臓カテーテル検査でシロとなり、最初の予定通り、「ウルフ・オオツカ法」の心房細動手術を受けられる予定 元気になるためとはいえ、今痛みがないのに手術を受けるのは、本人はそりゃ憂鬱に違いない。 言葉もままならないから、不安もたくさんあるはず。 でも文句も言わず、治療に向かってくれること、本当に有り難い。病気の治療って、本人と同じか、時にはもっと、家族の心が安らぐものだから。 昨年と同じ3/27(私は「奇跡的に助かった日」だと思っている)の入院、3/31に62歳の誕生日、手術予定は4/1(絶対忘れない日付😄)エネルギーに満ちている時期だもの、4月半ばには間違いなく元気に帰ってきてくれるでしょう!! 🌱海ちゃんを病院に送って、久しぶりに家でひとり、1年を振り返って徒然 もう二度と会えないかもしれない、もう二度と話が出来ないかもしれない、と思ったあの凍るような気持ちは、はるか昔のような、つい昨日のような、不思議な距離に鮮明にピン留めされている 最初は失われたものに目が奪われてしまって、喪失感と不安に呆然としたけど、幸いその時間はそんなに長くはなかった 運に恵まれて繋がった命。リハビリができるだけでも奇跡的なのだから、ここがスタートラインでいい、どこまで戻るか、じゃなくて、どこまで進めるか、新しい人生が始まったのだ、と思ったら、なんだかウキウキしてきたのだ 立ち直りの速さに自分でもびっくり 本当に素晴らしいことに、海ちゃんは一歩ずつ進み、笑い、喋り、SAXを吹いている。ハラハラしたり、立ち止まったり、悲しくなることはあるけど、心はいつも温かくて、日々起こることはユーモアに満ちていて、生きるって、本当に素敵なことだとつくづく思う。冒険、なんだよね。彼が気持ちよく機嫌よく過ごせればそれが最高。私もだ。 機嫌よく過ごすことを後押ししてくれる言葉にも沢山出会った。 「起こったことにどんな感情を結びつけるかは自分で決めることができる」 自らが脳出血を体験し、その体験を綴ったジルボルト・テイラーの言葉は力強い うまくいかないことを「悲しい」「苦しい」に結びつけるのは自分自身で、そこに結び付けないことも自分で「練習」で

退院半年 海ちゃんの今

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 発症から10ヶ月、リハビリ病院を退院してから半年経ちました やっと、回復とはこういうことかな、と実感がわいてきたところです。 退院してから去年は週2回、今年は週1回のペースで言語リハビリに通っています。(私も毎回同席させてもらい、驚いたり、感心したり) 最初は評価の試験も理解できないことが多く、リハビリ後はどっと落ち込むことも多かったけれど、いまでは宿題でちょっと「ウケ」を狙ったりして、笑い声の響くリハビリは、一緒にいてもココロ晴れ晴れする時間です。 失語症のリハビリは、記憶にはあるけど開け方の分からなくなってしまった引き出しを探るような作業。 彼の回復は劇的と言えるほどの速度ですが、人生に渡ってストックしてきた膨大な量の言葉を思い出すのは容易ではありません。新しい言葉を覚えるのと違って、「ある」ことはわかっているのに出てこない、とても歯がゆいのです。 言いたい言葉が出てこない時、言葉は聞こえるけど意味が捉えられない時、「病気をしたんだよ」と何度も自分に言い聞かせて、「わからない」ことを受け入れようとしています。 時にそれはとても辛いことですが、回復と、現状を受け入れること(ある意味、諦めること)を同時にやらなくてはならない、全部ひっくるめて、回復、なんですね。嫌になって投げ出してしまわないだけでもすごいことだと思います。 演奏活動は9月から徐々に再開し、音楽仲間やお客さんとも会話する機会が増えました。 初めは外界から流れ込んで来る情報の処理、自分の今の状態は大丈夫なのか?を感じ取ることに脳の力をすべて使い切り、ワンステージ吹いたらそのまま眠ってしまうくらい疲れていましたが、演奏を重ねるごとに体も、脳も、体力をつけてきて、今年に入ってからは演奏して、楽屋 で話をして、ということができるようになってきました。 演奏自体は、全く病気をしたことがわからないような時もあるし、あ、探してるな〜と思う時もあります。 でも、演奏に迷いはつきものだし、音楽をやる、というのは自分にしかわからないプログレスを信じて進んでいく、という感覚、生き方なので、これは今までと変わりありません。 この感覚があるから、言葉がうまく行かない時も「ま、いいか」って次に進めるのかな、と思います。音楽をやっててくれて、本当に良かった。 そして、彼の演奏を聞いてきてくれた人が、彼の回復を喜んでくれることが本