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2026年7月4日 心の交流会 「自分だけ?と思った経験」

 今日のテーブルは入院中の方2名、退院した方3名と同席。 今日のテーマ 「自分だけ?と思った経験」  全員が顔を見合わせて、「そりゃ、そう思うよねえ」。 突然体や脳の自由が奪われる体験をしたら、誰だってそう思う。 みんなの苦労話がこぼれだすのかな....と思っていたけど、退院して社会に戻っている皆さんはもうそういうふうには考えてもしょうがない、というところに立っている。 海ちゃん曰く 「できないことはたくさんあって一つ一つやるしかないんですけど、自分だけ、っていいこともあって、博物館にタダで入れたり、バスに乗れたり。これも自分だけ、で、いいことも悪いこともあります」 皆さんの表情がぱっ!って明るくなりました。 悪いことばかりじゃないよ。ちょっぴりオトクなことだってあるよ。 いい話よね。

新しい海ちゃん 4年目の始まり

 うちのカレンダーは年度替わりと共に新しい年になります。 海ちゃんの脳梗塞から3年、心臓の手術から2年を無事に過ごしました。 まずはめでたし、です。 とはいえ、昨年はちょっと無茶してしまった。結果無事だったから良かったけど、思い返すとよく無事で乗り切ってくれたと思うしかありません。 2月に大分のツアーとにっぽん丸のクルーズ、3月にニューオリンズ。 レギュラーのハブ、ミントンハウス、ピアニシモ、Storyville、メグスタ&ブギウギプロジェクト ジャム音楽学院でのレッスンと月2回の言語リハビリ..... 少しずつ増やしてきたつもりだけど、演奏のペースが元通りに近づいてくると、リハビリがある分、やることが前より増えてしまうのです。 そして、5月から準備に入り、7月から年末まで、毎月1〜2週間、新造船でのクルーズ演奏。 仕事ができる、というのは嬉しいことだし、自信にも繋がりますが、そのためにはしっかり準備をしたい。でも出来上がり途上の現場なので、事前にわからないことや変更が多々あり、なかなかできないのです。私も混乱すること多く、突然の切り替えが大変な海ちゃんにとっては精神的にも負担が大きい。脳への負担は体にも出るのではないか、心配になりました。 何より大切なのは海ちゃんの心が穏やかであること。 ちょっと負荷が大きくても、それを乗り越えてみたい、という気持ちがあればやってほしいし、無理だと思えばやめればいい。最初に依頼されたときから内容も変わってきていて、正直、途中でリタイヤしてもいいや、やれるだけやろうとと腹を括りました。 でも海ちゃんは音を上げませんでした。 最初のころは疲れ切って、部屋で泣きながら練習してたこともあったけど、時間になるとさっと着替えてしゃっきり出かけていく。 やっぱりミュージシャンは最後は現場の空気をエネルギーにできるのです。 奏でる、それが伝わる、という感触が、海ちゃんの脳の細胞をすごい勢いで動かしていました。 高次脳機能障害の最も苦手なものの一つ「切り替える」という脳の働きがミシミシと音を立てるように回復していく様子は、私の心配を悠々と飲み込んでいきました。 すべての現場を終えた12月、海ちゃんの脳には力こぶができていたに違いない。 あの時できなくて苦しかったのがなんでだろう?って思い出せないくらいに、脱皮を繰り返すように、海ちゃんの脳が...

「君が僕の息子について教えてくれたこと」 脳の奇跡を改めて見直す珠玉のドキュメンタリー

2014年に放送された「君が僕の息子について教えてくれたこと」 が「時をかけるテレビ」で放映された。 最初に見たときも心が揺さぶられたけど、今の海ちゃんと一緒に見ると、また新たな感動をたくさん発見した。 今日から1週間見られるので、ぜひ! https://www.web.nhk/tv/an/tokikaketv/pl/series-tep-WQGK99QWJZ/ep/QP4Y2LRM4N 「日本の自閉症の若者、東田直樹さんの書いたエッセーが20か国以上で翻訳されベストセラーとなった。英訳したのは、自身も自閉症の息子がいる英国の作家、D.ミッチェル氏。息子への接し方のヒントを本の中に見つけたと言う。同じ悩みを抱える人々に希望を与えた本の作者、東田さんの日々に密着したドキュメンタリー(初回放送:2014年) 自閉症ながら、紙に書いたアルファベットの変換キーボードを指でなぞりながら、豊かな、嘘も無駄もない言葉を絞り出すように紡いでいく東田さん。 「できの悪いロボットを操縦しているような気持ち」 頭の中には浮かんでいる気持ち、それを伝える言葉が、どこかでブロックされてしまって伝えるのにとても時間がかかる。喋るときも、抑揚、リズムとも日本語の特徴である平板さからは遠いので、彼のリズムに慣れないと、聞き取るのが難しい。 東田さんは脳の検査を受け、言葉の表出を司る「ブローカー野」と、理解を司る「ウェルニッケ野」のつながりに問題があることがわかった。 (海ちゃんの失語症は「ブローカー野」の損傷からくるもので、喋るときに言葉を探し当てられない、言葉が浮かんでも、音の順番が間違ってしまったりするところは共通するところがある) でも彼が脳のエネルギーすべてを使って紡ぎ出す言葉は愛に満ちた宝箱のよう。 「僕のために誰も犠牲になっていないと子供時代の僕に思わせてくれたのが、僕の家族のすごいところです」 「そばにいてくれる人は どうか僕達のことで悩まないでください」 「自分がつらいのは我慢できます」 「しかし 自分がいることで周りを不幸にしていることには 僕達は耐えられないのです」 自閉症である気持ちを言語にできる彼のお陰で、自閉症の子供を持つ親御さんたちが、子供の気持ちを汲み取れるきっかけを掴み、救われ、愛すること、愛されていることを思い出す。 施設で暮らす自閉症の息子が、帰宅したときに両...

「心の交流会」に参加 (2年1ヶ月)

 5月10日 蒲田リハビリ病院で開かれた高次脳機能障害を持つ患者さんと家族の会「心の交流会」に参加した 患者さんとご家族、16人ほどが参加。病院のセラピストさんたちの手助けで、患者さんたちが自分の現状を話したり、聞きたいことを尋ねたり。 入院中で車椅子の方もいれば、会社の経営に復帰した人まで、様々なステージの人が集う。 最初に”紙コップボール送り”のゲーム。場の雰囲気が笑い声でほぐれていく。 そして、それぞれの自己紹介。「高次脳機能障害に気がついたきっかけ」を話していく。 一見患者さんには見えない、言葉にも体にも問題がなさそうに見える人もいる。 でも話していくとみんな一様に、以前の自分と違ってしまった自分をどう受け入れ、どう社会と向き合っていくか、日々悩み、試行錯誤し、時に傷つき、自分を鼓舞しながら生きているのが伝わってくる 脳の損傷の原因も様々 倒れた時に頭を打って頭蓋骨が外れてしまった、バイクの事故で1ヶ月近く意識が戻らなかった、クリーニング店で仕事をしていたら突然伝票にの数字がめちゃめちゃになり、お客さんが病院に連絡してくれた、コロナにかかって3日目に突然倒れた..... 言語の困難が強いのは、海ちゃんともう一人。その人は一生懸命に「もどかしい」という言葉を探し出していた 入院中で車椅子で参加した男性は、現在の気持ちを「以前の自分が今の自分を嘲笑う」と表現し、退院後について、どうしたらいいのだろう、とみんなに尋ねた 50代の男性が答えた 退院後、一人で動けるだろうと思っていたけど、駅にいくとぶつかったり、突き飛ばされたりする。人から信用されなくなんじゃないかと怖くて、ヘルプマークをつけるのをためらっていたけど、無理をして自立を装っても、苦しいだけだし、無理だ、と判った。 だから、焦らない、急がない。 そして、周りにも自分の状態が伝わるように工夫する。 疲れやすいなら、ヘルプマークに加えて、杖を持つ。 以前のと同じことすらできない自分に毎日落胆するけれど、そこを起点にすれば、一歩でも前には進むことができるし、それをやり続けるしかないから。 仕事への復帰について、会社経営をしている男性が話してくれた 「もう誰も待っていてくれないと思ったけれど、待っていてくれる人はいるんです。数は半分になるかもしれない、でも、その人たちのために続けていけば良いと思う」 「助...

リハビリの後は美術館で脳のマッサージ!

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 11/13(水)言語リハビリの日。 昨日、クラリネットが思うように吹けなかった「がっかり」が尾を引き、体も心も重たい様子。喉も痛みもあって、カロナールを飲んでいる。 こういう日もあるね。少しずつ、気持ちが和らぎますように それでも、リハビリには行く、と。 診察 ドクターに昨日の疲れのこと、夜、心臓手術後初めて不整脈が出たことを伝える 「うまくいかなかった〜、というストレスとか、風のひき始めのように体調がダウンしているときには脈が乱れることは起きやすいので、毎日続かなければ心配ありませんよ」 ドクターの言葉と、心配ないという穏やかな表情に、本人も安心したみたい これだけでも、通っているありがたさがひしひし。 リハビリ STのOさんにサックスのレッスンの様子を伝えようとがんばる。 「2小節目にCとかいっちゃうんだけど」....って、音楽関係じゃない人にはわからない、と気づいて、ドレミじゃなくてCDEを使っていることを説明しようとする。うわあ、こりゃ大変 でも頑張って伝えてました。 Oさんは、入院当初に担当してくれていたので、「失礼ながら入院中のイメージが強かったので、授業をやっているなんて、すごいです!」と興奮している。 喜んでくれる人がいるのは、何よりの励みだね。 今日のリハビリ 1 メモ取り 後に内容を説明する  杉のチップを使った無公害トイレの話 2.語想起 プリント 「ん」で終わる家電 など コレは私も難しいわ 宿題をチェックしながら 6文字のひらがな並べ替え問題で たいいくかん になるものが たいくかん だと思っていて、ずっと悩んでいた。実際の発音は「たいくかん」に近いねえ。 「でも、関西ではたいいくかん、ってハッキリいうかな」って。確かに 拗音、撥音は今も難しい。これも失語症の特徴だそう。 今日もお疲れ!なのだが、天気が爽やかで、私はどうしても見たい美術展が世田谷美術館で開かれているので、このあと行ってもいい?と尋ねると、そうとう疲れている様子なんだけど、「着くまで寝てていいよね」といって黙って目を閉じる。 すまんのお、付き合っておくれ。 私が見たいのももちろんだけど、きっと海ちゃんにも元気をくれると思った 北川民次  展 ニューヨークに行ったけどつまらない、とメキシコに渡り、民衆を題材に描き、先住民の 青空絵画教室を開いた。 おおらかな色とタッチ...

2024年7月  一区切り 心臓を、脳が助けてくれたんだね

  7/11 河北病院 比嘉先生の診察 右手でお箸は持てますか?字は書けますか?右が痺れたり、歩きにくかったりしませんか? 全部、問題ありません、って答えていた。 投薬もしていないので、これで河北の診察は一区切り。 何か症状が出たら、又その時は近くの脳外科で診察だね ここで海ちゃんの命を助けてもらったんだなあ。 もう来ることはないかもしれない。 新しい病棟ができあがりつつあり、この景色は見納めになるだろう。 面会の時に通った受付。海ちゃんがリハビリのために下りて来たエレベーター。初めてマウスピースを吹いた、リハビリ室。初めての面会の日に転院の説明を受けて頭グルグルしちゃった医療連携室。 賑やかな受付のすぐ隣に、死と隣り合わせの人が運び込まれる、ICUの入り口。 夜中まで、缶入りコーンスープを飲みながら手術の終わりを待った発症当日。 「長島さんと同じタイプの脳梗塞です」って言われて、和ませてくれようとしてるのかとちょっと心がホッとした瞬間。 ICUの看護婦さんが出てきて、手作りの写真カレンダーを預かってくれた待合室のベンチ。 今は何もかも懐かしい。 病院にいるときの、不思議な安ど感。ここにいれば守ってもらえる、守ってくれる人がたくさんいる。ありがたみを心底感じた場所。お別れがなんだか少し寂しくなった。 ありがとうございました。 7/12 ニューハート 大塚先生 心電図もきれいですね、順調です 薬はずっと飲むのは嫌なので、減らしていきたいけど、長く心房細動を持っていたので、もう少し、量を減らして様子を見ましょう ゆっくり、ね。 お酒を飲んでもいいですか、とか、日焼けが斑点みたいになっているのは薬の影響ですか、とか聞こうと思っていたことはすっかり忘れた。 綺麗な心電図にみとれてしまったから つくづく思った 海ちゃんの心房細動はかなり長く持っていたものだった ほっておけば心臓がもっと悪くなっていたのかもしれない。 一番恐ろしい、心原性脳梗塞を奇跡のように生き延び、確かに失語症は残ってしまったけれど、人生を穏やかに見つめ直す機会をもらった。 自分をそんなに頑張らせなくていいんだよ、って。 そして体を大切に守る方法をいくつも授かった。 海ちゃんの脳が、身体を張って心臓を守ってくれた気がしてならない。 一部が動かなくなっても、海ちゃんを生かそうとしたに違いない なんて愛し...

手術から1か月 ミントンのライブ 「ただいま!」

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WO手術から1か月。 両脇に4カ所ずつあった、内視鏡手術の「穴」もだいぶ塞がってきて、体の動きも戻って来た。 そして、昨日(4/30)は術後最初のミントンハウス、トリオのライブ! 無事に最後まで息が持ってくれればそれで充分、と思っていたけど、スミマセン、海ちゃんはずっとずっと先に行っていました。 回復した、というだけじゃなくて、なんというか、演奏できるのはこんなにも幸せなんだよね、という気持ちが海ちゃんから溢れて、伝染して、プレイヤー、お客さん、店主、お店の隅々にまで満ちていた。 チカラ入ってるけど、どこか緩んでる。 自分の音に集中してるけど、共演者の音に、もっと耳を傾けて楽しんでる。 じっと、今の自分たちを見つめて、生きることの意味と方法を探してきた先にこんな日が来るなんて。このためにあった日々なのかな、とすら思う。 この安らぎを皆さんと分かち合えることが今は何より幸せ。 最高のメンバー、最高のお店、最高のお客さん。「ただいま!」